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大磯町サ行)資料  鴫立庵  島崎藤村

鴫立庵(しぎたつあん)は神奈川県大磯町にある俳諧道場。京都の落柿舎、滋賀の無名庵と並び、日本三大俳諧道場の一つとされる。敷地内に建てられた石碑にある銘文「著盡湘南清絶地」から、「湘南発祥の地」とされることもある。場所は大磯の国道1号線旧、東海道沿いの鴫立沢にある。名称は西行の歌「こころなき身にもあはれは知られけり鴫立沢の秋の夕暮」(新古今和歌集)による。寛文4年1664年、崇雪が草庵を結んだのがはじまりで、元禄8年1695年、俳人大淀三千風が入り、第一世庵主となる。明和5年1768年3月、白井鳥酔が再興し、庵主となる。現庵主は鍵和田秞子(第22代。2002年より)。

西行の代表的な作品の舞台となった鴫立沢
大磯の町は、江戸時代に東海道五十三次の宿場町として栄え、明治時代中期からは別荘地、海水浴場としても人気を集めた。そんな大磯の移り変わりを見てきたのが、昔も今も同じ場所に佇む鴫立庵(しぎたつあん)。秋の行楽シーズンに限らず、週末になるとリュックサックを背負ったハイカーたちが続々と集まってくる、大磯を代表する観光名所のひとつだ。そもそも、この庵が誕生したのは、寛文4年1664年のこと。小田原からやってきた崇雪(そうせつ)という外郎(ういろう=丸薬)売りが、この地に石仏の五智如来を祀って、小さな草庵を結んだのがきっかけとされている。崇雪はどうやら西行の熱烈な信奉者だったようで、新古今和歌集の「心なき身にもあはれは知られけり鴫立沢の秋の夕暮れ」という西行の句に登場する「鴫立沢」を探して歩きまわり、ついに大磯の海岸近くにある「鴫立沢」を見つけて、そこに草庵をつくってしまった、ということらしい。鎌倉時代に詠まれたこの西行の歌は、新古今和歌集の中では「寂しさはその色としもなかりけりまきたつ山の秋の夕暮れ(寂蓮)」、「見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ(藤原定家)」とともに"三夕(さんせき)の歌"と呼ばれている。いずれもどこかもの悲しい、"もののあはれ"をじんわりと感じさせてくれる秋らしい歌だ。

日本三大俳諧道場のひとつにまで発展
その後、素朴な草庵が、きちんとした庵となったのは、元禄8年(1695年)に、俳人の大淀三千風(おおよどみちかぜ)が移り住んできてから。三千風は草庵を鴫立庵と命名して、初代の庵主となった。三千風は元禄10年(1697年)に西行500年忌を行うなどして庵の地位を確立し、この地で9年間ほど過ごしたという。ちなみにこの大淀三千風は、かつて仙台で暮らしていた時代に大矢数(もともとは通し矢の競技だが、井原西鶴によって、一昼夜で俳句がいくつ作れるかを競うゲームとして考案された)にて、3,000句という前人未踏の大記録を打ち立ててから「三千風」を名乗るようになったという伝説的な俳人だ(翌年、井原西鶴が4,000句を詠み、三千風の記録は追い抜かれたが)。また、仙台にほど近い風光明媚な松島にちなんだ俳句を全国から募集して『松島眺望集』という本を出版したのも三千風。同じ時代を生きた松尾芭蕉とも交流があり、芭蕉が東北を旅しようと思ったのも、『松島眺望集』を読んだからだと言われている。つまり、大淀三千風がこの本をまとめなければ、あの『奥の細道』は生まれなかったのかもしれない。

余談
松島、芭蕉、奥の細道ときたので、「松島やああ松島や松島や」という句がすかさず思い浮かんだ。しかし、実はこれが芭蕉の作品ではないことが、今回いろいろ調べているうちに判明。松島の景色の美しさに感動した芭蕉が、やっと言葉を絞り出して詠んだ句、と勝手に思い込んでいたのだが、実は後世の狂歌師が作ったものらしい。久しぶりに目からウロコだった。さて、三千風が俳句の指導を行って以来、鴫立庵の庵主は代々俳句を教えるのが伝統。俳界では、京都の落柿舎(らくししゃ)、滋賀の無名庵(むみょうあん)とともに日本三大俳諧道場として知られているそうだ。平成14年(2002年)からはテレビなどでも活躍中の俳人、鍵和田ゆう子さんが22世庵主に。地元の俳句グループによる定例句会なども活発に行われ、三千風が大磯に残していった俳句文化は、脈々と受け継がれている。

大磯こそが"湘南発祥の地"という説も
鴫立庵には「湘南とはどこか」という問題を考える上で、絶対に見逃せない史料がある。今から約340年前に、おそらく日本ではじめて「湘南」という言葉が使われた標石のレプリカが敷地内に置かれているのだ(本物の標石は塩害による劣化を防ぐために、神奈川県立城山公園内の大磯町郷土資料館に展示されている)。表に「鴫立沢」と刻まれた標石の裏側にまわると「崇雪 看盡湘南清絶地(湘南はとてもすばらしいところだ)」という文字が見られる。これを刻んだのは最初に草庵を結んだ崇雪。崇雪の祖先は中国からやってきたという説もあり、海や山、川など豊かな自然に恵まれた大磯周辺が、中国湖南省の洞庭湖近くを流れる湘江の南部によく似ていたことから、崇雪はこの地を"湘南"と呼ぶようになった、と言われている。「大磯こそ湘南発祥の地」という説は、この標石に刻まれた7つの文字から生まれたわけだ。鴫立庵では、毎年3月下旬になると西行を偲ぶ「大磯西行祭」が行われる。しかし、崇雪の功績をたたえるようなイベントはひとつも存在しない。そもそも、草庵を結んで亡くなるまで隠居暮らしをしていたはずなのに、崇雪に関する情報はあまりに少ない。「看盡湘南清絶地」という歴史的な言葉を大磯町に残してくれた大切な恩人なのだが

島崎藤村 大磯町の島崎藤村邸 大磯町の地福寺
島崎藤村

島崎 藤村(しまざき とうそん、1872年3月25日(明治5年2月17日)- 1943年(昭和18年)8月22日)は、日本の詩人、小説家。本名は島崎 春樹(しまざき はるき)。信州木曾の中山道馬籠(現在の岐阜県中津川市馬籠)生まれ。
「文学界」に参加し、ロマン主義詩人として『若菜集』などを出版。さらに小説に転じ、『破戒』『春』などで代表的な自然主義作家となった。作品は他に、日本自然主義文学の到達点とされる[誰によって?]『家』、姪との近親姦を告白した『新生』、父をモデルとした歴史小説の大作『夜明け前』などがある。

家 系
島崎家の祖は相模国三浦半島津久井(現在の神奈川県横須賀市)発祥の三浦氏の一族で、島崎重綱の代に木曾義在に仕えて木曽谷に入り、その長男重通が郷士として馬籠を開拓して中山道の宿駅として整備し、代々本陣や庄屋、問屋を務めた。父の正樹は17代当主で平田派国学者だった。

生い立ち
1872年3月25日(明治5年2月17日)、筑摩県第八大区五小区馬籠村(長野県を経て現在の岐阜県中津川市馬籠)に父・正樹、母・縫の四男として生まれた。
1878年(明治11年) 神坂学校に入り、父から『孝経』や『論語』を学ぶ。
1881年(明治14年) 上京、泰明小学校に通い、卒業後は、寄宿していた吉村忠道の伯父・武居用拙に、『詩経』などを学んだ。さらに三田英学校(旧・慶應義塾分校、現・錦城学園高等学校の前身)、共立学校(現・開成高校の前身)など当時の進学予備校で学び、明治学院本科(明治学院大学の前身)入学。在学中は馬場孤蝶、戸川秋骨、北村季晴らと交友を結び、また共立学校時代の恩師の影響もありキリスト教の洗礼を受ける。学生時代は西洋文学を読みふけり、また松尾芭蕉や西行などの古典書物も読み漁った。明治学院本科の第一期卒業生で、校歌も作詞している。
1886年(明治19年) 父正樹が郷里にて牢死。正樹は『夜明け前』の主人公・青山半蔵のモデルで、藤村に与えた文学的影響は多大だった。

『文学界』と浪漫派詩人
卒業後、『女学雑誌』に訳文を寄稿するようになり、20歳の時に明治女学校高等科英語科教師となる。翌年、交流を結んでいた北村透谷、星野天知の雑誌『文学界』に参加し、同人として劇詩や随筆を発表した。一方で、教え子の佐藤輔子を愛し、教師として自責のためキリスト教を棄教し、辞職する。その後関西に遊び、吉村家に戻る。1894年(明治27年)、女学校に復職したが、透谷が自殺。さらに兄秀雄が水道鉄管に関連する不正疑惑のため収監され、翌年には輔子が病没。この年再び女学校を辞職し、この頃のことは後に『春』で描かれる。

1896年(明治29年)9月8日 、東北学院の教師となって宮城県仙台市に1年間ほど赴任[2]。同年10月25日に母の死に直面し、当時住んでいた広瀬川を見下ろす崖上の支倉町の住居で詩作を始め、仙台駅近くの三浦屋(参照)に移って第一詩集『若菜集』を執筆、これを発表して文壇に登場した[2][3]。『一葉舟』『夏草』『落梅集』の詩集で明治浪漫主義の開花の先端となり、土井晩翠(仙台県仙台出身)と共に「藤晩時代」あるいは「晩藤時代」と並び称された。これら4冊の詩集を出した後、詩作から離れていく。

藤村の詩のいくつかは、歌としても親しまれている。『落梅集』におさめられている一節「椰子の実」は、柳田國男が伊良湖の海岸(愛知県)に椰子の実が流れ着いているのを見たというエピソードを元に書いたもので、1936年(昭和11年)に国民歌謡の一つとして、山田耕筰門下の大中寅二が作曲し、現在に至るまで愛唱されている。また、同年に発表された国民歌謡「朝」(作曲:小田進吾)、1925年(大正14年)に弘田龍太郎によって作曲された歌曲「千曲川旅情の歌」も同じ詩集からのものである。

小諸時代から小説へ
1899年(明治32年) 小諸義塾の英語教師として長野県北佐久郡小諸町に赴任し、以後6年過ごす(小諸時代)。北海道函館区(現函館市)出身の秦冬子と結婚し[4]、翌年には長女・みどりが生れた。この頃から現実問題に対する関心が高まったため、散文へと創作法を転回する。小諸を中心とした千曲川一帯をみごとに描写した写生文「千曲川のスケッチ」を書き、「情人と別るるがごとく」詩との決別を図った。『破戒』を執筆し始めたのもこの頃からであり[5]、同作の登場人物である市村代議士は、岩村田町(現在の佐久市岩村田)の立川雲平をモデルにしたとされる。
1905年(明治38年) 小諸義塾を辞し上京、翌年「緑陰叢書」第1編として『破戒』を自費出版。すぐに売り切れ、文壇からは本格的な自然主義小説として絶賛された。ただ、この頃栄養失調により3人の娘が相次いで没し、後に『家』で描かれることになる。
1907年(明治40年)「並木」を発表。孤蝶や秋骨らとモデル問題を起こす。
1908年(明治41年)『春』を発表。
1910年(明治43年)には「家」を『読売新聞』に連載(翌年『中央公論』に続編を連載)、終了後の8月に妻・冬が四女を出産後死去した。このため次兄・広助の次女・こま子が家事手伝いに来ていたが、1912年(明治45年/大正元年)半ば頃からこま子と事実上の愛人関係になり、やがて彼女は妊娠する。
1913年(大正2年)5月末、神戸港よりエルネスト・シモン号に乗船し、37日後にマルセイユ着、有島生馬の紹介でパリのポール・ロワイヤル通りに面した下宿で生活を始める。第一の「仏蘭西だより」を朝日新聞社に連載、「桜の実の熟する時」の執筆を開始、下宿の世話した河上肇などと交流した。
第一次世界大戦が勃発により、1914年(大正3年)7月から11月まで画家の正宗得三郎とともにリモージュに疎開、第二の仏蘭西だよりを朝日新聞社に連載。
1916年(大正5年)7月、熱田丸にてロンドンを経て神戸港に到着した。
1917年(大正6年) 慶應義塾大学文学科講師となる。
1918年(大正7年) 『新生』を発表し、この関係を清算しようとした。このためこま子は日本にいられなくなり、台湾に渡った(こま子は後に日本に戻り、1978年6月に東京の病院で85歳で死去)。なお、この頃の作品には『幼きものに』『ふるさと』『幸福』などの童話もある。
1927年(昭和2年) 「嵐」を発表。翌年より父正樹をモデルとした歴史小説『夜明け前』の執筆準備を始める。
1929年(昭和4年)4月から1935年(昭和10年)10月まで 夜明け前が『中央公論』にて連載された。この終了を期に著作を整理、編集し、『藤村文庫』にまとめられた。また柳澤健の声掛けを受けて日本ペンクラブの設立にも応じ、初代会長を務めた。
1940年(昭和15年) 帝国芸術院会員。
1941年(昭和16年)1月8日 当時の陸軍大臣・東条英機が示達した『戦陣訓』の文案作成にも参画した。(戦陣訓の項参照)
1942年(昭和17年) 日本文学報国会名誉会員。
1943年(昭和18年)「東方の門」の連載を始めたが、同年8月22日、脳溢血のため大磯の自宅で死去した。最期の言葉は「涼しい風だね」であった。

親譲りの憂鬱
島崎藤村は自作でさまざまに、「親譲りの憂鬱」を深刻に表現した。これは、下記等の事情による。
1父親と長姉が、狂死した。
2すぐ上の友弥という兄が、母親の過ちによって生を受けた不幸の人間だった。
3後に姪の島崎こま子と近親相姦を起こしたが、こま子の父である次兄広助の計らいによって隠蔽された。兄の口から、実は父親も妹と関係があったことを明かされた。

年 譜
1872年3月25日(明治5年2月17日) - 筑摩県の馬籠村に生れる。
1878年(明治11年) 神坂小学校に入学。
1881年(明治14年) 兄とともに上京。泰明小学校に通う。
1886年(明治19年)3月、泰明小学校を卒業。11月、父・正樹、死去。
1887年(明治20年)9月 - 明治学院普通部本科に入学。
1888年(明治21年)6月 - 木村熊二から受洗。
1891年(明治24年)6月 - 明治学院を卒業。
1892年(明治25年)10月 - 明治女学校の教師となる。
1893年(明治26年)
1月、北村透谷、星野天知らと「文学界」を創刊する。
教え子の佐藤輔子を愛したため明治女学校を辞め、キリスト教を棄教する。
1894年(明治27年)5月、透谷が自殺。
1895年(明治28年)長兄が公文書偽造行使の疑いで下獄。
1896年(明治29年)9月8日 - 東北学院(仙台市)の教師として約1年間赴任。
10月25日 - 母・縫が死去。この頃から詩作を始め、「若菜集」を書き上げる。
1897年(明治30年) 8月 - 処女詩集「若菜集」を出版。
1898年(明治31年) 4月 - 東京音楽学校選科入学。
1899年(明治32年)4月 - 小諸義塾に赴任。
明治女学校卒業生、函館出身で網問屋の次女・秦冬子と結婚。
1900年(明治33年)5月 - 長女・みどり、生誕。「千曲川のスケッチ」を書き始める。
1902年(明治35年)3月 - 次女・孝子、生誕。
1904年(明治37年)4月 - 三女・縫子、生誕。
1905年(明治38年)4月 - 上京。5月 - 縫子死去。10月 - 長男・楠男、生誕。
1906年(明治39年)3月 - 『破戒』を自費出版。4月 - 孝子が死去。6月 - みどりが死去。
1907年(明治40年)9月 - 次男・鶏二、生誕。
1908年(明治41年)4月より「春」を『東京朝日新聞』に連載。12月 - 三男・蓊助、生誕。
1910年(明治43年)1月より「家」を『読売新聞』に連載。8月 - 四女・柳子、生誕。妻・冬子、死去。
1912年(大正元年) - 有島生馬の装丁で『千曲川のスケッチ』を佐久良書房より出版。
1913年(大正2年)4月 - 手伝いに来ていた姪・こま子と過ちを犯しこま子が懐妊したため、関係を絶つためにフランスへ渡る。
1916年(大正5年)7月4日 - 帰国。こま子との関係が再燃する。9月 - 早稲田大学講師に就任。
1918年(大正7年) - 5月より「新生」を『東京朝日新聞』に連載。
1928年(昭和3年)24歳年少の加藤静子と再婚。
1929年(昭和4年)- 4月より「夜明け前」を『中央公論』に連載。
1935年(昭和10年)- 日本ペンクラブを結成、初代会長に就任。
1936年(昭和11年)-
第14回国際ペンクラブブエノスアイレス大会出席のため、静子夫人と副会長有島生馬を伴い外遊。帰途に欧州に立ち寄る。
1937年(昭和12年) - 麹町区下六番町に転居
1941年(昭和16年)2月 神奈川県中郡大磯町に転居。
1943年(昭和18年)8月22日 - 大磯町の自宅にて死去、満71歳。戒名は文樹院静屋藤村居士。大磯町の地福寺に埋葬された他、島崎家の菩提寺である馬籠村(現中津川市)の永昌寺に分骨された。

主な作品『藤村全集』は、筑摩書房で数度出版。

詩 集
若菜集(1897年8月、春陽堂)
一葉舟(1898年6月、春陽堂)
夏草(1898年12月、春陽堂)
落梅集(1901年8月、春陽堂)
藤村詩集(1904年9月、春陽堂)※上記4冊を合本したもの。

小説
旧主人(1902年11月、『明星』)
破戒(1906年3月、自費出版)
春(1908年10月、自費出版)
家(1911年11月、自費出版)
桜の実の熟する時(1919年1月、春陽堂)
新生(1919年1、12月、春陽堂)
ある女の生涯(1921年7月、『新潮』)
嵐(1926年9月、『改造』)
夜明け前(1929年1月、1935年11月、新潮社)

写生文
千曲川のスケッチ(1912年12月)

紀行文
海へ(1918年、実業之日本社)

童話
眼鏡(1913年2月、実業之日本社)
ふるさと(1920年12月、実業之日本社)
おさなものがたり(1924年1月、研究社)
幸福(1924年5月、弘文館)

記念館
小諸市立藤村記念館
藤村記念館
城崎町文芸館
フィクションにおける島崎藤村

映 画
北村透谷 わが冬の歌(1977年 演:西塚肇)
わが愛の譜 滝廉太郎物語(1993年 演:榎木孝明)
家(2013年 演:松田洋治)
テレビドラマ
風雪 浪漫光茫(1964年 演:江守徹)
ラジオドラマ
忘れえぬ人々 島崎藤村(1953年 演:伊志井寛)

演 劇
しりたまはずやわがこひは(1997年 演:大出俊)
オペラ 瀧廉太郎(1999年 演:持木弘)
漂白のとき 小諸日記 藤村と冬子(2001年 演:江藤潤)
青春の賦 乱れて熱き吾身には(2002年 演:緒形幹太)
我が胸中朱夏にて候(2003年 演:小野寺昭)
幕末純情伝(2008年 演:岩崎雄一)


神奈川県大磯町の地福寺にある、島崎藤村(右)と静子夫人(左)の墓所

有限会社鈴木組
〒255-0005神奈川県中郡大磯町西小磯193−1 大磯駅から直線距離で1436m 海抜18m

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